句解説

中山道は江戸の日本橋から京都の三条大橋を結ぶ街道です。

宿場町として高宮宿と鳥居本宿があります。商人や旅人、朝鮮通信使なども利用した街道の一つです。

 

 


句解説

彦根藩第11代藩主・井伊直中(直弼の父)が彦根城下にあった宗徳寺というお寺を移転した際に改名され天寧寺になりました。

伝承では、腰元(高貴な人に仕える侍女のこと)が不義の子を妊娠したことがわかり、藩の法律により処罰したところ、不義の相手が直中の

病弱な長男・直清であった事が判明し、生まれてくるはずだった孫ともども死罪としたことを悔やみ追善供養のために作られたともされています。

知っている顔が一つはあるとされる五百羅漢像も有名です。


句解説


句解説

井伊直弼が17歳から32歳までを過ごした屋敷。

藩主になれないとされた序列や他藩の養子になれなかった自らを指して、自ら『埋木舎』と名付けたとされる。

だが、埋もれた存在ではあるが『なすべき業をなす』と強い決意をもって名付けていたとされている。

実際に直弼は朝から勉学に励み、昼から武芸に励みと一日の睡眠時間は4時間ほどだったとされている。