句解説
江戸時代末期になると、武士の間でも文武両道を目指す事が奨励されるようになる。
彦根藩第11代藩主・井伊直中が藩校を作り、第12代藩主・直亮が洋学も学べるように改良して『弘道館』と名を改めた。
開校当初は、現在の彦根西中学の運動場あたりにあったが大正12年に現在の中央町に建物を移している。
大老・井伊直弼が学んだ学び舎です。
現在は金亀会館と名を改めており、彦根藩校の現存する唯一の建物として彦根指定文化財となっています。
現在、建物の調査のため金亀会館内の見学はできませんし、関係者以外の立ち入りは禁止されています。
句解説
番町皿屋敷
『下女のお菊がある日誤って家宝の皿を割ってしまい、怒った主人に手打ちにされます。
以来、夜になると井戸のそばにお菊の幽霊が現れ皿の数を「一枚~二枚~」と数え、最後に「一枚足りない」と恨めしそうに呟くようになり、この怪異が原因でお家が断絶してしまいました。』これが全国的なお話です。
全国に50以上も残るこのお話は封建社会の中で身分違いの恋が多かった事をうかがえます。
それでは彦根のお話
『皿は井伊直政が徳川家康から拝領されたものを大坂冬の陣で武功のあった孕石家(はらみいしけ)に与えたといわれている。
1664年、彦根藩藩士の孕石政乃進は侍女のお菊と恋仲になります。
お菊は政乃進の本心を確かめるために「皿と私とどっちが大事?」と家宝の皿を一枚割ってしまいます。
わざとお皿を割ったお菊に怒った政乃進は結果としてお菊を手打ちにします。
それでも怒りのおさまらない政乃進は残りの9枚のお皿も割ってしまった。』というものです。
長久寺には現在もこのお話に出てくる割られた9枚のうち6枚が現存しています。またお菊のお墓もあります。
番町皿屋敷のお話で物証が残っているのは彦根だけとされています。
彦根カルタストーリー作品
『新説・彦根番町皿屋敷』
滋賀県彦根市のあるお寺に割れた6枚のお皿が大事に保管されている。
なぜ割れたお皿を大事に保管しているのか?
それは全国に50以上も残る番町皿屋敷という怪談に登場するお皿だと伝えられているからだ。
家宝のお皿を割ってしまった下女が亡霊となり、やがてその家を取り潰しにするというお話。
「いちま~い、に~まい、さ~んまい」と皿を数える女の亡霊、そして最後に「一枚足りない」と言う。
彦根の番町皿屋敷は孕石家という武将の家を舞台に当主と下女の恋愛が絡んだお話となっている。
句解説
句解説
1860年の正月に井伊直弼は正装姿の自身の肖像画を御用絵師・狩野永岳に描かせ、自詠の和歌を書き添えて、井伊家の菩提寺である清凉寺に納めたと伝えられている。
琵琶湖の波が磯に打ち寄せるように、世のために何度も心を砕いてきたと幕府大老として国政に力を尽くしてきた心境を表している。
直弼はこの二か月後の3月3日に桜田門外の変により死去している。