句解説

荒神山は宇曽川の近くにある標高284mの独立峰です。

奈良時代に行基が山頂に奥山寺を開山し三宝大荒神を祀った事から「荒神山」と呼ばれるようになりました。

荒神山の南側には県内第二の大きさを誇る荒神山古墳があり、弥生土器などが発見されています。

『文化の足湯』とは、中国や朝鮮からの帰化人が湖北の港から湖上を舟で京都方面に向かう途中で荒神山を目印に使った事で、

大陸の進んだ文化を取り入れるための玄関口のような役割を果たしていたのだと思われます。


句解説

平田町にある妙法山明照寺

江戸時代の『奥の細道』で有名な俳人松尾芭蕉が1691年に大津から江戸に向かう途中で明照寺に立ち寄り、

14代目住職の李由が芭蕉に師事しました。

李由の作った庭園を見て、芭蕉が『百歳(ももとせ)の景色を庭の落葉かな』と詠み、句碑が建てられました。

芭蕉の死後、李由は形見分けでもらった芭蕉の渋笠を句碑に埋めた事から笠塚と呼ばれるようになったようです。


句解説


句解説

1833年(天保2年)に彦根藩の命令により、付近の豪商により石で作られた橋が作られ、翌年に高宮の有志により彦根藩から買い取られて無料で渡る事ができるようになった事から『無賃橋』と呼ばれるようになったそうです。