句解説
江戸幕府が成立しすぐに始まった鎖国体制。
1842年に起こったアヘン戦争は身近な大国中国の敗戦という形で、日本に諸外国の脅威を伝えました。
時の老中・水野忠邦は諸外国に対する異国船打払令を緩和し、諸外国との争いを避ける方針を決めました。
その後1853年にペリー来航、翌1854年に日米和親条約を締結し、下田(静岡県の伊豆半島の港町)にアメリカ領事館をおきました。
アメリカ初代駐日大使のハリスは幕府に対し、通商の自由を認める条約の締結を求めましたが、勅許(天皇の許可)が出されませんでした。
そこで大老・井伊直弼が決断して日米修好通商条約を結びました。朝廷の許可がない条約の締結だったので『違勅調印』と呼ばれています。
200年以上続いた鎖国体制を終わらせた人物として、反感を買われることもあったと思われますが、諸外国と戦争になり植民地化されるよりは不平等でも条約を結び国の主権を守ったと考えるべきなのかもしれません。
掲載小説
『大罪人 -井伊直弼と共に生きた男- 』
高校生の主人公がトラックにはねられて飛んだ先は江戸時代だった。
主人公が出会ったのは元服もしていない井伊直弼だった。
完全空想物語です。「わからないからこそ空想や夢が広がる、歴史の楽しさはそこにある。」を主軸にしています。
句解説
金毘羅権現とは、香川県琴平町の象頭山に鎮座する山岳信仰と修験道が融合した神仏融合の神様の事です。
元々はガンジス川のワニが神格化された(日本では蛇型)水の神様で、海上交通の守り神として色々な場所で祀られています。
彦根では野田山町にある慈眼寺(曹洞宗のお寺)に十一面観音があり、野田山の金毘羅宮となっています。
句解説
現在の彦根城がある場所は昔、彦根山と呼ばれる山でした。
その山にあったのが彦根寺です。
彦根寺は観音の霊験所として有名で、平安時代には内大臣の藤原師道(ふじわらのもろみち)をはじめ、京都の貴族や庶民に加えて、
寛治3年(1089年)には当時の院政を行っていた白河上皇も参拝したとされています。
彦根寺についての記録はそれ以降ありませんが百済寺の仏具や北野寺の役行者の銘文などからその後がうかがえます。
どういった経緯で廃寺となり彦根城の建設場所に選ばれたのかはまた別のお話なのかもしれません。
句解説
キャッスルロードにある宗安寺の赤門と黒門です。
黒門は江戸時代の朝鮮通信使をもてなすためのごちそうを運び入れるための門だったようです。
赤門は佐和山城の表門を移築したようです。
それぞれ歴史のある立派な門です。